六角堂(川窪寺屋敷跡)


八木崎公園内にある六角堂の案内板

〜六角堂(川窪寺屋敷跡)のいわれ〜

日蓮聖人は文永6年(1269年)に「国家安泰」を祈念するため、富士山中腹で法華経を暗読し、 書写された法華経文を経筒に納め地中に埋めたとされています。この地が富士登山道五合五勺の 経ヶ岳である。後世この埋経の事実を伝えるためにこの名がつけられた。 その後、日蓮聖人は小立地内鼻曲石及び法華堂近辺で、農作業をしている小立の百姓等を呼び集めさせて 説法をされたという。名僧が来られ富士山で行法を講じられた噂は既に広まっていたので沢山の人が 訪れ、説法を聴聞した。説法を聞く幾夜が過ぎた後、村人が鼻曲石のある地に急造の粗末な草庵を 日蓮聖人のために建てた。これが妙法寺の始めであり、甲斐の国へ聖人が開創された寺の最初のもので ある。

八木崎公園内にある六角堂の案内板と六角堂

場所が村落から1キロも程も離れ、夜分の集会題目には不便を感じたことから、 文永11年(1274年)日蓮聖人弟子の妙法・妙吉・日長が 村落に近い川窪の地−寺屋敷に移り小堂を建立した。これが 川窪寺屋敷とされ、文献に記されています。 その後、永禄2年(1559年)12月に大雨が降り、富士山の雪解け水等により湖があふれ、村落や 寺も水没し御堂も流出し、翌年2月に現在の妙法寺を移築したと伝えられています。 そこで町では平成7年11月、周辺住民から「寺屋敷」と呼ばれ親しまれてきた川窪にあった頃の 妙法寺の、土台石や踏石が残されているこの地を史跡として残し、保存するために六角堂を建立 しました。河口湖町指定文化財にもなっています。

現在、小立林地区に移築した妙法寺

 《 〜 ご 案 内 〜 》

◆名  称史跡『川窪寺屋敷』保存施設「六角堂」
◆所 在 地山梨県南都留郡河口湖町小立字宝司ヶ塚1070番地先
◆構 造 木造平屋建
◆建築面積24.98
◆延床面積11.24
◆建 築 年 平成7年11月